名曲は死なない〜作曲家・三木たかし

Yuko-Nakamura2014-06-22

ご縁があって 5年前にお亡くなりになった作曲家・三木たかしさんの楽曲を 
このところ歌詞カードを見ながら一つずつ聴かせて頂いております。
そのご縁をいただくまで、恥ずかしながら あまり歌謡曲に興味が無かったので 
じっくり集中して聴いた事が無かったのです・・・・


改めて 勉強する感じで じっくりと聴かせて頂くと 「なんでこの詩から この曲が生まれるのであろう?」
と 泣けて、感動が湧いてきます。
すばらしい詞に驚くようなメロディーがつき ピッタリあった歌手が歌う。
3者が揃って 名曲は生まれ 作った方が亡くなっても、名曲は死なないのだと思いました。


津軽海峡冬景色」「時の流れに身をまかせ」「アンパンマンのマーチ」、、、、
あげれば数限りない。
まず 詩が素晴らしい。 荒木とよひさ 阿久悠 なかにし礼 やなせたかし
など 作詞家とのコンビが最強である。


三木たかしさんをご存知の方にお聞きしてみると、努力の天才だそうです。
いつも皆が驚くような良いメロディーを生み出そうと 研究をしていたそうです。
曲が生まれると 熟睡している夜中でも電話がかかって来て その向こうで歌って聴かせるのだそうです。 
名曲の誕生に拘れた事が 幸せだったと関係者の方々は振り返っておられます。


生きていらっしゃる時に ライブに伺ってみたかった。
ご自分で歌ったCDを聴かせて頂きましたが それはそれは情熱的で心が震えます。
作曲家の前に 自由奔放で純粋な心を失わないやんちゃな男性だったのだろうと思います。


改めてこの日本の昭和の歌をじっくり聴く機会をいただいた事に 感謝したいと思っています。

芸を磨く事に貪欲な方の舞台は〜

Yuko-Nakamura2014-06-15

「自分たちの演奏をなかなか客観的に見られないので このDVD(演奏を定点カメラで撮ったもの)すごくうれしいです。
お客様がどう思ってライブに参加していらっしゃるのか凄く知りたいし、中村さんからのアドバイスも受けたい!」と、
先日Clapsで素晴らしい演奏をしてくれたModeaのメンバーの一人が話してくれた。


東京近郊だけでも毎日、大小の違いはあるが100を越えるエンターテイメントが劇場やホール、
ライブハウスでかかっているなかで 一つを選んで来てくださるお客様.時間とお金を使って。。。 有り難い事です。


このところ大小さまざまなライブを拝見させて頂く事が多くなりました。
舞台って登場している人が 何倍にも大きく輝いて見えたり、その反面自信なさげだっり、ミスが目立ったり、
どの舞台を見せて頂いてもプロデュースする側は勉強になります。


キラッと輝く才能を見せて頂くと、うれしくなるものです。
演奏する方々だって人間だから 今日の調子とかあると思いますが、
プロである以上 最高のパーフォーマンスを披露するという心構えや心意気が大切で 
それは自ずと舞台に現れるものだと思いますし、
お客様は不思議にそれを感じ取って心の中で評価しているのではないかと思っています。


お客様が満足していらっしゃる事を感じ取るのは 結構簡単です。
帰り際の表情を観察していると すぐに解ります。
難しいのはその逆。それぞれの立場で 話したくない聞きたくないという感情があるのも事実。 
しかし、舞台に立つ事を仕事にしていく以上、次のステップの為に枯れないうちに肥やしは必要でしょう。


自分の芸を磨く事に貪欲な方の舞台は 進化があって本当に楽しみです。
私の応援等いらなくても 勝手に応援したくなります。
それは わたくしが進化していく為でもあるのです。


そうだ〜〜 今日はワールドカップサッカー初日 応援しなくっちゃ!
完璧私の応援等いらないけどね。。。 
興奮と活力をいただきましょう!!

ステキなピアノをありがとう!

Yuko-Nakamura2014-05-17

「ステキなピアノありがとう!」と言うメッセージと子供たちの笑顔の写真、
コーラスの練習をしている写真、感謝状と記念品、など・・・
スマイル募金「ピアノ贈り隊」で皆様よりいただいた大切なお金をピアノに換えて被災地の学校や保育園にお贈りすると 
子供たちが喜んでいる笑顔とニュースを思いがけなくいただきます。


先日は石巻ひがし保育園より感謝状とともにニュースレターをいただきました。
私たちの想い
東日本大震災により石巻は壊滅的な打撃を受けました。
震災直後.洞源院は地域住民が生活する避難所となり,多くの人が先の見えない不安の中,顔をこわばらせ深い悲しみと絶望の渦にのまれていました。避難所に笑顔が見えたのは,子供たちの無邪気な笑い声が聞こえるようになってからです。子供たちの笑顔は,生きる希望であり,私たちのかけがえのない宝です。この地域の再興と発展は、若い世代の力がなければ実現できません。そしてそれを受け継ぐ子供たちが元気に育つ環境を作らなければ希望を持てる町にはなりません.私たちは子供たちの笑顔の為に地域を明るく照らす光が美しく健やかにある事を願い保育園設立を決意しました。」


NYパワーハウスSmile募金『ピアノ贈り隊」では、今までに12台のピアノを東北地区にお贈りして参りました。
いただいたこのニュースレターを読むと 被災地の復興はまだまだで
これから学校や保育園が建設されて行くのではないかと思います。
石巻の市役所からは 10台の電子ピアノが欲しいというお申し出がありましたが、
寄付を集めることがなかなか困難で、寄付がたまったら一台どこかにお贈りするということを続けております。
ここには河合楽器製作所がバックアップしてくださっています。


もしこのブログを読んで ご自分が またはご友人が寄付をしたいと言う事でしたら ぜひ御連絡をください.
皆様のご寄付が 東北の子供たちの笑顔に変わります。 詳しくはhttp://nypowerhouse.com/?page_id=92#smile
をごらんください。

86歳のスーパー老人、3名!!

ここ1ヶ月のうちに昭和2年生まれの元気な老人3名に会いました。
世の中に「How to manage your life」 のような本やセミナーが数多くありますが、
その元気な老人たちを観察する事で生き方を学べます。
凄いエネルギーで好奇心の固まりのような精神と明るさ、こだわりを持たない賢さを感じます。


その中の一人が我が父です。
さすがに外見は腰が曲がってきて 杖を持っていますし、耳が遠くなっています。
耳が遠くなると 補聴器を入れる事が煩わしくなってしまう人が多いようですが、
父は「慣れる事が第一!」と言って 頑張っていつもつけるようにしています。
そして、今でも週に一回 日吉から東京駅まで一人で電車に乗って碁を打ちに出かけています。
昨日も 母と電車でタケノコを持って来てくれて お寿司をおごってくれました!やった〜〜〜!!
それから近くで行われている美術展を観て帰りました。
本来なら 私がタケノコを取りに行くという構図が当たり前と思いますが、全くそう言う所に拘らず、
できる時に動ける人が動けば良いと思っていてくれます。(多分?! ちがうか??)


二人目は 先日お会いした背の高いステキなTさん。
銀座にある関東大震災後にできてそのまま残っている奥野ビルの一室で行われた「箱展」が 
そのおばあちゃまの晴れの舞台。
一人で一年かけて作った色々な箱を展示し、売って、
そのお金を弊社の「被災地にピアノ送り隊」に寄付してくださっているのです。


一緒に写真をと言っても 「恥ずかしいから良いわ!」 
ならば被災地に送るピアノにお名前を入れましょうとお話ししても 
「別に良いの!!でも、私の箱作りが被災地の子供たちのためになっているかと思うと 頑張れるのよ!」 と、
天使のような心のステキなおばあちゃまでした。



もう一人は 毎週お会いする永田さん。
私は毎週一回朝早く行われている異業種交流会に参加しています。
まさかこう言う所に行くようになるとは思ってもいなかったのですが ご縁で通うようになりました。
世の中の事を知らないで年を重ねてしまった私には本当に勉強になる所で23歳〜86歳まで多種多様な職種の方が集まった面白い集合体です。一週間に一回お会いするので 仲良くなって行きます。
真面目にそれぞれのビジネスの話をする事により自分のネットワークが広がり また 既に持っていた自分のネットワークを紹介する事により 相手のネットワークも広がって行きます。


その早朝異業種交流会に86歳の永田さんが リュックを背負って杖をついていらっしゃるのです。
職種は「ジュエリーデザイナー」。彼女の過去を聞くと 生まれ持った素質+その経歴からも 
86歳にして好奇心旺盛、楽しむ事が大好き、人の役に立ちたいという精神が育まれたのだと思いました。


86歳のおじいさんおばあさんががんばっています!
ピラティスの先生のよると「脳」が「人のその日の調子」を決めているようなものだそうです。
「今日も元気だ!86歳のあの人たちにまけられないぞ〜!」と脳に言い聞かせ、楽しく一日を過ごしたいものです!!

舞台作りも 人のご縁も化学反応?!

Yuko-Nakamura2014-03-22

先日 神奈川県立音楽堂で行われた「かながわの伝統文化の継承と創造プロジェクト実行委員会」主催「リ・古典」に、時々弊社の企画に登場していただいている尺八の藤原道山氏が出演するというので、
県庁の重鎮になっている友人に誘われ行ってきました。その折に 初めて25弦琴奏者の中井智弥さんを知り
その迫力が凄いのにびっくりでした。


神様が引き寄せてくださったのか、必然なのか、それからしばらくして中井さんとお話しする機会に恵まれ
今度弊社企画の泉ガーデンに出演して頂く事に、そしてその後「大人のライブ」にも出演して頂く事になりました。


昨日はその中井さんが代表を務めているJapan Traditional Arts Academy 略して「ジャパトラ」の舞台に伺いました。
どこかの能楽堂で行われた公演をDVDで見せてもらった時に 素晴らしいプロジェクトだと感動し 
今回生のジャパトラを拝見できました。「八岐大蛇」ほか。

 
伝統和楽器(25弦琴・鼓・笛など)/日本画(墨彩画の映像)/語り(古典の語りや説明)で 今までにない新しい世界を解り易く作り上げていく。
それぞれに卓越した才能をもった演者が 楽しみながら練り上げて臨んでいる感じが強くとてもすがすがしいライブでした。


毎回 新作を作り上げていく意気込みと情熱は 日本の伝統が文学、音楽、絵画・・・何であれ秀逸の文化だという事を知らしめてくださるすごいエネルギーだと思いました。


琴の世界を無限に広げる挑戦をしているような25弦琴の中井智弥。
舌さんの迫力ある絵、
この時にはこの音でしょ!!という効果的な和楽器の音、
それに語りの面白さ。


今回が「八岐大蛇」 次回は「耳なし芳一」。
神話の世界や昔話が蘇って〜、というよりも昔教科書で習ったところで留まっている世界が
いきいきと面白い作品として刻まれていきます。


音楽と物語、絵(映像)、の化学反応がおこっていくと面白いですね。
そして 人の縁も化学反応で繋がっていくのですね〜!

3/11に思う 宇宙〜大震災〜大空襲 そして桜

若田光一宇宙飛行士が、国際宇宙ステーション船長になったという嬉しいニュース。
日本人の輪を大切にする心が彼の人間性を築き、超優秀な能力と体力がそうさせたのだと思うと 日本の誇りだ!


折しも今日は3月11日、3年前の今日を思い出すととても恐くなる。
この頃になると メディアが特集を組むが、
経験した全ての人が それぞれの恐怖体験を語る事ができるのであろう。


その当時にも思ったのであるが(ブログにも書いた)、宇宙から見たら、
そう若田さんたちが見たら地震津波はどう見えるのであろう。
飛び始めたカフンが鼻をくすぐり我慢していたくしゃみが一気に出て そのあとくしゃみが続くように、 
地球がくしゃみをしたように見えるのではないか。
地球のくしゃみには 多くの犠牲が伴うが誰も停められないし、特効薬もなく、
注意報が適切に出ればそれに対応するしかないのであろう。


今朝は、時差ぼけで早く目覚めてしまうためベッドの中で、フェイスブックを繰っていたら、
3年前の津波でご両親を亡くした友人があげていたサイトを 導かれるように開けてしまった。
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html
そこには昭和20年3月10日の東京大空襲が史上最大の大虐殺である事が綴られていた。
アメリカ軍が行った人為的な大空襲である。眼を見張り、心が重くなった。(是非 皆様もご覧いただきたい)



話が前後するが 3年前の津波の1ヶ月後くらいに被災地にうかがわせて頂く機会を得て車で行った時に、
綺麗に花をつけている桜の木の向こうに広がる光景に驚き、自然の恐さとどんな時にも花をつける自然の強さを感じた。
生き残って避難生活をしている人たちの不安とその人たちが花を愛で癒されている状況を見せてもらった時、
人間はもろいけど強いと感じたのを忘れない。


大空襲のサイトの最後の方にも 隅田川沿いの美しい桜が映っている。
桜の花びら一つ一つには、大空襲で亡くなった人たちが 「東京の発展は自分たちの犠牲のもとにある事を忘れないでほしい」と言っている魂なのではないかと感じてしまった。


自然災害は どうしようもない。
しかし、戦争はしなければ良い。
戦争を体験した人が少なくなっている今、
それも伝えなければいけない事なのではないかと改めて思った。

家政婦は見た。第2弾3 「二日遅れのNY到着」

ブロードウェイ

2月9日、成田に行くまでの苦労(8時間かかったらしい)は同じでございましたが、 さすがでございます、
そこからはあの若者、しっかりと差をつけて日本脱出を自力で決行したのでございます。一般庶民とは違います。
ヤンキースに入られたマー君こと田中将大投手は なんと飛行機をチャーターして同じ日に同じ目的地NYに飛んでいかれたという事でございます。
荷物部屋はイヤでございますが、エコノミー席の見えない所辺りにでも 乗せて頂けたら・・・・なんて 思うのは私だけでございましょうか?


結局 NYには二日遅れでつく事になったのでございますが、
そうなると想像しただけでもうれしい空港でのお坊チャマと奥様とのハグし合う再会は、平日でみんなの日常生活日なので、 無しなのでございます。
つまらない韓国系のただのおじさんが「家政婦YUKO」(まさかでございますが・・・)という看板を持って迎えてくれ 何の感動もなく車に乗り込み、Let’s go!でございます。


NYには いわゆるニューヨーカーのキャリアウーマンらしい奥様のお姉様も滞在していらっしゃいます。
近頃 シティーでの派手な生活から落ち着きを求めて 奥様が住まわれているスカースデールの近くのホワイトプレインズという所にお引っ越しなさいました。そのマンションは コンシェルジュ常駐なので鍵を預けて、 私が入れるように手はずを整えてくれていました。


その彼女のファーストネームは YUKA
私の名前は YUKO
あとそのわがままなYUKAさまと仲良くしてくださっている方の名前がYUTA


ま〜〜〜コンシェルジュの大きな黒人の人の良さそうなお兄ちゃんが
こんがらがるわ!!こんがらがるわ!! 
私が帰国するまで一度も正確ではございませんでした。


一人で鍵を開けて YUKAさまのお部屋に入り、
荷物を整理し、生まれつきの性分であるお片づけ(あやしい、日本ではお片づけコーチについている)。。。と思いましたが、14時間のフライトは乾燥で髪や顔がばさばさ、シャワーを浴びさせて頂きました。


そうこうしているうちに お勤め帰りの奥様が車で迎えにきてくれて、お坊チャマの保育園に迎えにいきました。
どういう訳かお坊チャマは私の事を「Lady Baba」と呼ぶようにしつけられており、
保育園のドアからそっと顔を出しますと「Lady Baba」と叫んで飛びついてきてくれました。
それはそれは涙が出るほど嬉しいものでございました。ハグとキスしまくりです。この世の中に人前で誰にこのハグとキスができるでしょう?!子供は無償の愛の相手、宝物でございます。


2日遅れのNY到着は 予定が推して参ります。
奥様の旦那様は 背が高くて誰も手が届かない棚の上のものを取ってくれる最高の男性でございます。
その彼がリビングルームの一角をカーテンで仕切って作ってくださった私専用のメイド部屋。
そこを3週間滞在の基地にするべく段取りして、あり得ないほどのアンパンマングッズや、その他のお土産、成田で買ったお寿司などおいて、早々にマンハッタンに出動でした。


家政婦としてのお勤め以外の時間をどうにか作り出して 私の趣味の舞台やステージを観る事が楽しみでございます。
この日は 奥様のお姉様のYUKA様が私の為に「Kinky Boots」を用意してくださり、
時差ぼけでカクッとなる私を思いっきり肘でつついてくださりながら、楽しんだのでございます。
こうやってNY第一日目は 時差で頭や身体はぼ〜っとしている状態でございますが 
鼻毛が凍り、頭が痛くなるほどの寒さにNYを実感いたしたのでございます。